吉野堂物語

ひよひよひよ子

かわいいヒヨコにヒゲがあるなんて

昭和39年、「ひよ子」は、東京進出を果たしましたが、このときに行われたいくつかの決断が、今日の「ひよ子」のあり方を決めたと言っても過言ではありません。文字(今日でいうロゴタイプ)の変更も、その1つでした。当時の「ひよ子」は、伝統的な形の「髭(ヒゲ)文字」でした。ヒゲ面の武骨な九州男児振りもいいけれど、時代に合わせて、もっとおしゃれでセンスのあるスタイルにしたい。

ひげ文字
勘亭流、寄席文字、相撲文字などと共に、「江戸文字」の一種で文字の撥ねやはらいの部分がかすれて、ひげのようになっており、その数も縁起をかついで七・五・三になっていました。

勘亭流(かんていりゅう)
落語や歌舞伎の看板などにつかわれる書体。

寄席文字(よせもじ)
客を寄せるための書体として勘亭流と堤灯文字を元に創始された。ビラや千社札につかわれた。

相撲文字(すもうもじ)
相撲の広告や番付などでおなじみの文字。

町春草さん

当時、若手女流書家として脚光を浴びていた町春草さんに、お願いはしたもののどんな文字が出来上がってくるのか、まるで見当がつかない。期待と不安の時が過ぎました。
やがて、和紙に描かれた四種類の「ひよ子」の文字が届いた瞬間は、「感動」の一語でした。
これだ!

当時、これほど、デザイン性や感性を感じさせる文字は数少なかったといっても、よいのではないでしょうか。
東京進出キャンペーンは、この文字(ロゴタイプ)を中心に新しいイメージで展開されました。パッケージはもちろん、テレビCM、新聞広告、店頭ディスプレイ等総合的な広告展開が行われました。今でいうVI(ビジュアル・アイデンティティ)といったところでしょうか。
おかげで、「ひよ子」は一気に東京でも人気者になり、とくに、上野駅ではふるさと東北へのお土産として人気を呼びました。
この、ひよ子の文字を基軸とした統一されたデザイン展開は、業界でも話題となり、その後、昭和四十年代以降の高度経済成長の中、銘菓各社のデザイン開発が活発化し、斬新なデザインによる新製品が次々に登場。市場活性化につながっていくきっかけにもなったといえるでしょう。

ひよ子
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町春草(まちしゅんそう)さんのプロフィール。
1922(大正11年)生まれ。昭和28年、東京・銀座で初の個展を開催。 当時書家といえばいかめしい風貌の男の人が、難しい漢詩などを墨痕鮮やかに書くというのが大方のイメージ。これに反して、町さんは和装のよく似合う、若く、美しい女流書家としてデビューしました。童謡、詩、絵画などとのコラボレーションを試みるなど常に新しいものへのチャレンジを続けて、日本的な「書」の国際化にも取り組みました。 1985(昭和60年)は、フランス芸術文化勲章受賞、平成7年には紫綬褒章勲四等を受賞するなど多くの栄誉に輝き1995年(平成7年)、没。

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